【プロレス】金沢克彦著「子殺し」読了 ~新日ファンは絶対読んでほしい一冊 - その他
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【プロレス】金沢克彦著「子殺し」読了 ~新日ファンは絶対読んでほしい一冊

2012/11/09 編集
その他
コラム プロレス 新日本プロレス




はじめに

金沢克彦著「子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争(文庫版)」を購入。



この本は2009年7月に宝島社から発行された本を加筆・修正、文庫化されたものである。あの"GK"が書いた本として、当時、とりつかれたように読んだ人も多いのではないだろうか。

さて、私はこのたび、文庫化されたこの作品を最近知り、初めて読んでみた。そこには金沢氏でなければ書けない新日話の裏側が書かれていた。今回、この本を読んで初めて知ったことも多かった。

大仁田との関係、橋本vs小川の裏側、さらに永田、藤田、石澤の総合格闘技への挑戦、その裏に猪木アリといった内容など、まさに新日が暗黒時代へと歩を進めていたあのときの新日本プロレスの裏で、いったい何が起こっていたのかを書いてくれた本だと思う。

注目は圧倒的ボリューム!じつに370ページ近い厚みの本なので、読みごたえはバツグン。プロレスファンならば、日々、バッグのなかに忍ばせておくべき本だと感じた。プロレス本でここまでの大ボリュームがある本はほかにない。

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大仁田厚編



忘れもしない1999年。あの"邪道"大仁田厚が新日本プロレスに乗りこんできて長州に挑戦状を破られ、その後、健介とシングルマッチを行い、蝶野、ムタと戦って最終的には長州とのシングルマッチを行うのだが、あの裏側について詳細に描かれている。

当時、普通にテレビで見ていた私からすれば、「あの事件、金沢さんがああいう風に動いていたから実現してたのか」と驚いた。また、乱入から1年8ヶ月におよぶ大仁田との「共謀関係」についても克明に記録されている。プロレスの裏側を知りたい、プロレスファンなら必ずニヤリとする内容だし、混迷を極めていた"邪道"vs"ストロングスタイル"の歴史を振りかえる意味でも読んでおくべき章だ。

vs健介戦のあと、金沢氏だけに見せた「大仁田の隠し武器」の存在は必見。それを念頭に置いてあの試合をもう一度見てみると、大仁田がいかに覚悟を決めてリングに上がっていたかがわかる。

また、大仁田参戦に関してチラリと影を覗かせたのがアントニオ猪木。参戦前、長州に苦言を呈したとされる猪木のこの言葉は驚いた。

「あいつは危険なんだ。負けたってあいつの世界観は崩れることがない。だから大仁田の存在感を消すのは不可能なんだよ。」(P43)


猪木が大仁田に関し、ここまで危機感を募らせていたことは初めて知った。てっきり相手にもしていないと思っていただけに、本当に驚いた。


橋本真也編



橋本についてはもう書ききれないというか、語り尽くされた部分もあるだろう。しかし、この本では小川に暴走ファイトを仕掛けられたあの「1999.1.4」のさらなる裏側が書かれている。じつに100ページ以上がこの「橋本vs小川」に割かれている。ぜひ読んでおくべき内容だ。

読んでみてさすがに驚いたことがある。なんと、橋本と小川があの試合後、電話会談を行っていたというのだ。内容については本を読んでいただきたい。価値はある。

そもそも、あそこに至るまでの経緯が当時はよくわからなかったので、この本で詳細に解説してくれていて助かった。背景にはやはり猪木がいて、どのように小川を手中に収め、新日へ復権してきたのか。そして橋本はそこで何を考え、どういった心境でその後のvs小川路線に行ったのか。

単なるスキャンダルでは片づけられない、平成新日本プロレスの核となるあの事件を、誰よりも橋本を側で取材してきた金沢氏が書く。おそらく、あそこまでの事実は氏でなければ書けない。読んでいて、一緒に戦っているような気分にさせてくれた章だ。

長州、猪木の濁流に飲みこまれた破壊王。新日内で居場所がなくなっていき、最終的には解雇をされた橋本であったが、当時は「これで動きやすくなった」という見方もあった。事実、ゼロワンの旗揚げ戦では三沢・秋山とタッグマッチで激突している。

この奔放な男を解き放つには、解雇という選択肢しかなかったようにも思える。その後の橋本の人生を見るに、小川という存在は決して脳裏から消えることはなかっただろう。

プロレスに「たられば」はないが、もし、橋本が復帰戦を行う舞台が全日本プロレスの東京ドーム大会ならどうだっただろう。橋本は復帰し、三沢や川田などとも接点が生まれ、新日と三沢が率いる全日との全面対抗戦になったかもしれない。ゼロワンの旗揚げもなかったかもしれないし、独立もしなかったかもしれない。

この本に書いてある橋本の真の苦悩。金沢氏にだけ語った真意。ここを読まずして橋本は語れないと思う。


永田、藤田、石澤編



永田ついてはあの「vsミルコ、vsヒョードル戦」の詳細について書かれている。

読んでいて猪木に翻弄された永田裕志が気の毒にもなったが、現在の「永田さん」を見るに、やはり永田というレスラーにはあの経験が必須だったのではないかと思わされた。

武藤敬司という巨大な壁を崩すには、武藤が踏みこんでいない領域に行くしかない。そう考えた側面もあったという。だが、格闘技・プロレス界というのはあそこまで契約やオファーで揉めるものなのか。

当時置かれていた立場や放送局の問題もあっただろう。しかし、2001年から始まった「年末格闘技」の余波は、そこに上がる選手の心情を置き去りにした。もちろん、猪木の苦悩も描かれているので、単純に「猪木が悪い」とも言い切れない。すべては時代がそうさせたのか、あそこまでゴタゴタした泥沼劇は今後もないかもしれない。





藤田和之については、氏の特別な感情が垣間見える。

"怪物"藤田。私はこの藤田という選手が嫌いだった。2004年ごろだったか、IWGPチャンピオンになったはいいのだが、どうにもプロレスができていない。最後はスパインバスターから頭を蹴って終わり。あの時代の新日はまさに暗黒時代だった。それを象徴するのが藤田という存在だと思っていた。

だが、藤田について読めば読むほど、この人はそんな枠ではない、もっと高いレベルのところで動いていたのだということに気づかされる。一時期、あれだけ新日マットに参戦して"怪物"の名を欲しいままにしていた藤田であったが、実は目立つのが嫌いだという性格も初めて知った。

若手時代、中西の下ということに苦悩を感じ、猪木の下へ走り、PRIDEへ出陣。当時、私は藤田を「なんか一気に進んだ人だなあ」と思っていた。それはその通りで、藤田は「飛び級」をしたのだ。

それは新日本にいても、結局は中西の下という序列がつけられるから。そこから藤田は脱却しようとしたのだ。現在はIGFのチャンピオンになって活動している。やはり藤田と猪木はガッチリとした師弟関係で結ばれているということがわかる。

藤田和之という選手を語るにあたり、過去の新日マット参戦時の戦いだけを見て評価してはいけないと再確認させられた。この人はもっともっと高いところで動いていたし、猪木ですら踏み込んだことのない領域、「プロレスと総合格闘技の両立」をやってのけた時代の寵児であったのだ。




そして石澤常光(ケンドー・カシン)だ。石澤はほとんど予備知識がなかったので、新鮮に読ませていただいた。

私は石澤選手と言うよりは、カシンのイメージのほうが強い。コソボに義捐金を寄付するとか、全日本に行ってベルト問題で訴訟になったとか、カシンにはとにかく"問題児"というニックネームが似合いすぎるほど似合う。

素顔の石澤常光は常識人であるにもかかわらず、あれだけプロレスファンに愛されている人もいない。カシンが出てくるようなことがあれば「カシンだあああ!」とファンが叫ぶ。そこあるものは何か。おそらく「石澤常光の強さ」に巨大な幻想があるからではないのか。

かつて地に堕ちたプロレスラーの強さ。しかし石澤だけは違うというのがファンもわかっているから、カシンとして上がったときに、大歓声が沸き起こるのではないだろうか。

「新日本最強の男」
「ブラジル行きを決定づけた猪木の一言」
「結局、評価されるのはヘビー級なんだ」


胸に去来するさまざまな思いを秘めながら総合格闘技へ出陣した石澤。どこまでもストイックに強さを追い求めるその姿にファンは熱くなる。裏打ちされた実力があるからこそ、ケンドー・カシンに酔いしれるのだ。



最後に

本著は「猪木と新日本プロレスの10年戦争」と銘打たれているだけあり、各選手のエピソードには毎回、アントニオ猪木が登場する。その猪木が目指したものは何か。プロレスの復権だったのか、はたまた新日を壊すことだったのか。

現在の新日を見ているファンは多いと思う。しかし視点は過去のファンと全然違うと思う。スポーツライクな雰囲気に包まれ、ファミリー層が多くなってきた会場。猪木の名前は新日の「伝説」として使われ、暗黒時代を知らない人も増えてきたと思う。親会社はユークスからブシロードへ引きつがれ、カードゲームやアメーバピグなどの二次コンテンツも勢いを増してきている。



猪木の名前だけが残った新日では、これまで言及してきた事柄は決してなくなることはない。格闘技バブルに翻弄されたと言ってしまえば簡単に済む話だが、ファンとして見てきて、新日本プロレスとアントニオ猪木は、一時期においては切っても切れない関係があったのは確かだ。そこに面白さがあったかと言われればNOと言うしかない。こっちはたまったものではなかったからだ。

猪木の意志が入ることでカード編成が変わったりするのも納得いかなかった。「どうしてみんな、猪木をブッ飛ばさないんだ」と思っていた。

だが、この本を読めば、アントニオ猪木と言う人は、そんな簡単に行く存在ではなかった。それがよくわかる。あの格闘技バブルのさなか、奔走した"神"はその後、IGFを立ち上げている。

猪木の本当にしたかったこととは何なのだろうか。傍から見たらプロレス界を引っかきまわしただけ。しかし、全体を見れば「プロレス最強論」をいつも掲げていたのも猪木ではなかったか。

そこに共鳴し、総合へ本格参戦した藤田のような選手もいれば、永田や石澤のように現役のプロレスラーでありながら、総合のリングへ上がった選手もいる。本著を読めばわかることだが、猪木が永田に言ったことや石澤へ指南したことなど、そこには猪木自身が考える「プロレス最強論」が大きな割合を占めていたように思うのだ。

オーナーとか創始者という肩書を超え、プロレス界の中心にいる"神"としての猪木。どのような形であれ、猪木が引退後も新日に介入してきたのは事実だ。あの時代をしっかりと受け止めたファンは、いまも新日を見つづけているのではないか。そう思う。逆に、暗黒時代で離れたファンはあまり戻ってきていないのではないだろうか。

良くも悪くも、新日に毒を注入しつづけた猪木。時代の陰には必ずこの人がいたということがわかる名著だと思う。私はこの本を、新日本プロレスが歩んできた歴史書として、永久に本棚に置いておこうと思った。
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