【不思議】『ピーリー・レイース(ピリ・レイス)の地図』 300年後に発見されるはずの南極大陸が描かれていた? - その他の不思議
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【不思議】『ピーリー・レイース(ピリ・レイス)の地図』 300年後に発見されるはずの南極大陸が描かれていた?

2013/10/25 編集
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不思議 オーパーツ




ピーリー・レイースの地図1513年、当時最も航海技術に長けていたと言われるオスマン帝国の海軍軍人、ピーリー・レイースが作った地図。現存する2枚のうちの1枚であり、『ピーリー・レイースの地図(ピリ・レイスの地図)』と呼ばれている。

発見されたのはイスタンブールのトプカプ宮殿博物館。1929年に収蔵品の写本類から見つかった。地図に用いられている紙はガゼルの羊皮紙。本来は右半分にインド洋が描いてあったと思われるが、見つかった当時にはもう半分が失われた状態だった。

陸地はイベリア半島、アフリカ大陸の北西部、南北アメリカの東海岸と南アメリカから伸びるように陸地が描かれ、そこの陸地には動物や船が描かれている。

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1818年発見の南極大陸が1513年に描かれていた?


コロンブスの地図がない現代では、この地図がアメリカ大陸を描いた最古の地図であるとされているが、この地図で面白いのは、1513年に作られたこの地図に南極大陸の北岸らしきものが描かれている点にある(地図の下のほう)。


当時、コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年なので、その20年後にこれほどの地図が作成されたのがまずすごい。

地図の海岸線は、エジプトのカイロ上空から撮影した衛星写真の地形と見事に一致していたのだ。この時代の調査力というものがどれだけ進んでいたのかは分からないが、当時の技術を用いて、20年間でここまで詳細な調査ができるものなのだろうか?

ピーリー・レイースはこの地図の作成にあたり、合計33枚の地図を参考にして描いたと言われている。だが参考にした地図のうち、判明しているのはわずか13枚。残り20枚は不明である。(8枚はイスラム世界の地理学者の地図、4枚はポルトガルの航海者の作成した地図、そして1枚はコロンブスの新大陸地図であると言われている。)

また、南側に描いてあるのが南極大陸だとすれば、これはすごいことなのだ。というのも、南極大陸が発見されたのは1818年で、完全地図化されたのは1920年

つまり1513年に南極大陸はまだ発見されていないのだ。それなのにこの地図には、南極らしき海岸線・土地が描かれている。


ピーリー・レイースの地図。右下に南極大陸と思われる海岸線が見える。

ピーリー・レイースの地図2


これはいったい、どういうことなのだろうか?なぜ300年後に見つかるはずの南極大陸が1513年に描かれているのか。上空から見でもしないかぎりはわからないくらいに正確である。

この地図がオーパーツ化されている理由としては

「氷のはずの南極の海岸線がなぜわかったのか」

ということにある。そう、もし南極がずっと氷に覆われていたとしたら、この時代でも南極大陸は氷のはず。なのにピーリー・レイースはなぜ、南極大陸の「海岸線」を描くことができたのだろうか?

一節には、レイースは、イスカンダル王の時代から伝わる資料を基にしてこの地図を作ったため、古代から伝わる南極に関する正しい知識を持っており、それを使って描いたという説がある。つまり、昔話の知識を基にして想像で描いたということだ。

それにしては、かなり複雑で細かい地形まで描かれているような気もするが・・。
まさかこの時代の南極はまだ氷の下ではなかったということだろうか?


南アメリカ説


しかし、現代ではこの地図をオーパーツとする説に対して、現実的な意見が述べられている。懐疑派の意見としては、南極大陸が発見される300年前に描かれていたということではなく、この海岸線を南極と解釈するには緯度が高いことから、地図の都合で南アメリカ付近を描いたのではないかとする説を展開している。

また、この地図には「南極」という言葉は出てこない点を挙げている。確かにこの地図のどこにも「南極」なる単語は出てこない。この地図を発見してからというもの、「あの大陸は南極に違いない」と信じた人たちによって南極大陸説が有力視されているというだけのことのようだ。

さらにこの地図内には「灼熱の砂漠」という記述もあることから、南極大陸だと言われている海岸線は南アメリカの太平洋沿岸部を描いたものであり、「砂漠」という単語もあるので、南アメリカに砂漠が存在することを知っていたということになる。これは当時、地形調査が細かく行われた証拠だという。

当時でもアメリカ大陸の海岸線の調査は行われており、測定は可能だったということからピーリー・レイースは通常の測定過程や古代の地図から地形を地図に描いていき、このままでは紙が足りなくなるので、南アメリカの南部を強引にこの位置に描いたというのだ。

地図作成に使われたガゼルの羊皮紙というのは当時でも高価であり、紙をムダにしないためにも、なんとか羊皮紙内に地図を収めようとした結果だという推論が懐疑派の意見だ。

また、地図で南極大陸と思われる部分に描かれている動物は南アメリカ大陸に生息するグアナコと考えられており、このことからもピーリー・レイースの地図は近代の解釈では「南極大陸を描いたものではなく、南アメリカを描いたもの」とされている。

実は南極大陸と思われる地図はこれ以前にも発見されている。

オロンテウスの地図(1531年)
メルカトルの地図(1538年)
ビュアッシュの地図(1737年)、
ミリティウスの地図(1590年)
フランチェスコ・ロザエリの地図(1508年)


などだ。これらの地図にはどれも地球の南方に南極大陸と思われる土地が描かれているが、現在の調査でこれは「想像上の大陸を描いたもの」として結論づけられている。

オロンテウスの地図には「テラ・オーストラリス」と書かれている。この言葉の意味は「未知の南方大陸」であり、この土地はまだ発見されていないが、「たぶん、こんな感じの土地があるだろう」と想像で描かれたものであるという可能性が高い。


だが、オーパーツや古代文明の不思議を信じたい私としてはこの地図が実は南極大陸を描いたものであり、ピーリー・レイースは空から南極大陸の存在を見て、氷に覆われていない南極を地図に描いたと信じたい。

なぜなら、16世紀に描かれたこの地図の「ゆがみ」がアメリカ空軍が作った航空地図とピッタリ一致するからである。

ピーリー・レイースは本当に古地図や測定からしか情報を得ていなかったのだろうか?残された右半分の地図には何が描いてあったのかも気になる。



信じるか信じないかはあなた次第。


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