「まじめそうに見える」自分が嫌だ

「まじめそうだから、こういうことを振っても大丈夫だろう」
僕はこれまで、「まじめそうに見える」ことで損をしてきたように感じます。
誤解をしていただきたくないのは、「まじめそうに見える」人の場合ということです。本当にまじめな人はしっかりと自己を律して生きておられると思います。私のように
「一見まじめに見えるけど、じつはそうじゃない」
タイプって一番キツイんです…。
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まじめそうに見える人は損をする?
僕は見た目がまじめそうに見えるので、「ちゃんとしている」と見られがちですが、それがアダとなることが何度もありました。
しっかりしているように受け答えをし、行動しているように見えても、精神的には弱々しかったり、「やります」と言っておきながら、実際は「そんなつもりで言ったんじゃない」と思うことがよくありました。
そのときはテンションが上がっていてそう言っていても、翌日になると「なんでオレ、あんなこと言っちゃったんだろう…」と後悔することが何度もありました。
「ならそんなこと言わなきゃいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、つい言ってしまうんです。面談の場でも背もたれに決して背中を預けず、ピシッとしたままの姿勢で目線は相手を見据え、しっかりとハキハキ答える。
対応としてはOKな部類に入るんでしょうが、とても疲れるんです。ふだんからそんなことをやっているので、いったん気が抜けると腑抜けになったようにガクッとなるんです。たぶん、「人から良く見られたい」「不まじめだと思われたくない」という性格がそう「演じ」させているんだと思います。
まじめそうな人は、ミスをしたときの評価の下がり幅が大きい
まじめに見える人は、不まじめに見える人より文句を言われる回数は少ないです。しかし、いざミスをすると、評価が一気に下がってしまいます。
僕がそうだったんですが、それまで仕事を「9」まじめにやっていても、「1」のミスをした段階で、そのミスが目立ち、呆れられてしまうんです。
ふだんから不まじめな人だったら「しょうがないヤツだなあ」で済むところが、まじめそうに見える人は「まじめだと思っていたのに、こんなところでミスるのか…」となり、低評価を受けてしまいます。
昔のことわざに
「木を隠すなら森の中」
という言葉がありますが、不まじめな人は多少ミスをしても、多くのミスの中のひとつという認識をされ、それほど深く追求されることはありません(ミスの度合いにもよりますが)。
これまで一緒に仕事をした人たちを見てきて、周囲から「あいつはまあしょうがない」と諦められているほうがよっぽどマシなんです。そういう人にかぎって要領よく仕事しちゃうんですよね。僕のような「一見まじめに見えるタイプ」は目立ってしまうんです。
上記で書いたように、まじめな人がミスをすると、それまでの評価が一気に下がる危険があります。ですから、真面目そうに見える人は「できて当たり前」というラインから下がることを必死になって避けなければならないのです。これはツラいことです。
学生時代、不良が多少悪いことをしても目につかないけど、まじめっぽい人がそういうことをすると、すぐに目についていたのとまったく同じです。
真面目系クズ診断をやってみた
かといって「まじめっぽい→まじめ」へ努力をしたがらない僕は、「真面目系クズ」だろうなと思って、診断をやってみました。結果は「75%」でした。クズ度ハンパなかったです。やってみたい人は↓へ。
真面目なように見せかけて実は……真面目系クズ診断

まじめそうに見える人は「まじめな人」を目指す?
かんたんに言うけど一番難しいことです。まじめそうに見える僕みたいな人は、「本当のまじめ」を目指そうとすると、いままで以上の努力を強いられることでしょう。
でも、きっついよなあ…(笑)。だって本当のまじめじゃないから。僕は「まじめそうに見えるナマケモノ」だから。
外見・所作が一見まじめに見えてしまうというのは、本当にまじめな人に失礼になってしまうんですよね。なら本当にまじめにならないといけないと思うんですが、長年染みついてきた「見せかけのまじめっぽさ」はそうそう本物にはなれません。
なので、無理にまじめになるのではなく、「まじめそうに見えるけどオレってじつはこうなんです」ということを周囲に言うということが必要なのではないかなと思うんです。そしたら「そうなんだ」と納得してもらえる人もいるかもしれません。
僕はこれまで人生をいかに無難に過ごすかということに重点を置いてきました。
他人との争いも嫌いでしたし、僕が間に入ることで場が収まるならそれでいいじゃないかと思って自分を殺してきました。人に対してはっきりと物が言えず、まじめを演じることで周囲に認めてもらいたいと思っていました。
そうして生きてきた僕も、最近、自己主張ができるようになりました。それは年齢が解決してくれたのだと思っています。
中学生のころ、僕は「早く大人になりたい」と思っていました。たぶん、大人になれば考えかたもそれ相応になるということを自分で察知していたのかもしれません。真面目系クズと言われようが、それはそれでいいんです。
年齢を重ねていくと、だんだんと図太くなってまじめそうに見える人でも、少しずつ自己主張ができるようになる。僕はそれでいいと思っています。50歳になろうが60歳になろうがそこに気づかないよりは、いま気づけたんだからいいんじゃないでしょうか。
あと、「真面目系クズ」の人って僕も含めて基本的な「真面目さ」は持っていると思うんですよね。「クズ」って付くのがシャクですが。だったら無理にカテゴリ分けしないで「まじめっぽい人」でいいじゃん、と思ったりもします。
関連リンク
▶まじめ系クズの日常
▶どうして真面目系クズになってしまうのか : まじめ系クズの日常
▶真面目系くずの特徴まとめ - NAVER まとめ
▶真面目なように見せかけて実は……真面目系クズ診断|フレッシャーズ マイナビスチューデント
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