「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」 鳥嶋編集長談

っていうのがドラゴンボールを当時、ジャンプで見ていた僕の感想でもあります。
ドラゴンボールの初代編集長、鳥嶋和彦氏とお笑い芸人のケンドー・コバヤシさんの番組『漫道コバヤシ』のインタビュー中で「ドラゴンボールはフリーザ編で締めるべきだった」と認めたのです。
ケンコバ「フィナーレのやり方が難しい、と。どのへんがベストだよなー、みたいな考えはあったんですか?」
鳥嶋「やっぱりフリーザ編で締めておくべきだったでしょうね」
そう、ドラゴンボールの初代担当編集が直々に“引き伸ばし”を認めたのである。しかも、フリーザ編終了後の展開で悪役となるのはドクターゲロや人造人間18号だが、それを見た鳥嶋氏は「ジジイとか女と闘うくらいだったら、もうやめたほうがいい」とまで思ったそうだ。
ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
たしかに人造人間編が始まったとき、トランクスの登場には驚きましたが、セル編の最後のほうは僕はあまり気合を入れて見ていませんでした。トランクスがムキムキの超サイヤ人になるあたりは興奮していましたが、あまりにもパワーのインフレが進みすぎていました。
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そもそも、ドラゴンボールはフリーザ編で終わったと仮定してみると、あれほどキレイな終わりかたはなかったように感じます。
まあ、それを言うなら「マジュニアあたりで止めとけば…」という人も出てくるのでしょうが、「もうちっとだけつづくんじゃ」と亀仙人に言わせたあたり、鳥山先生はサイヤ人編以降はむしろ「予定になかったこと」として描いていたのかもしれません。
サイヤ人編がスタートして、悟空のルーツが明らかとなり、惑星ベジータの生き残りだったサイヤ人たちと戦って、悪の元凶であるフリーザを倒し、悟空自身もナメック星の爆発に巻きこまれて死ぬ。つまり
宇宙最強同士が激突して両方がこの世から消える
この終わりかただったらすごくまとまったと思うんですよね。どうしても悟空だけを生き返らせたいなら、ベジータの言ったように「魂を地球に移動させてから生き返らせる」ところまでを描き、そこで終了としてもよかったと思います。
と語るのは鳥嶋氏ですが、たしかにその通りだと思います。フリーザ編でキレイに終わっていたら、鳥山明という漫画家はもうひとつのヒット作を生みだしていた可能性はあります。
ドラゴンボールにすべてを捧げ、燃えつきた。それがいいのか悪いのかはもう分かりませんが、コンテンツとして見るなら、ドラゴンボールは魔人ブウ編までやっていて正解だったのでしょう。しかしストーリーだけを見るなら、フリーザ編で終了していたほうがよかった。これはジャンプ漫画にありがちな「延命策」の犠牲とも言えます。
フリーザ編以降、ドラゴンボールは死者を生き返らせるだけの道具となってしまい、悟空の
「大丈夫だ、ドラゴンボールで生き返る」
というセリフも命というものの薄さに拍車をかけてしまったように感じます。僕は個人的にドラゴンボールという漫画は「空間」のおもしろさを味わう漫画だと思っていて、ストーリー自体はあまり注視していませんでした。なんというか、空間戦闘のコマ割りを楽しむ漫画というか、ドカバキやっていても一発で「何をやっているかわかるすごさ」があるんです。
こう書くと「ストーリーは魅力的じゃないのか」と言われそうですが、正直、子供のころはストーリーというかバトルの展開にドキドキしていました。マジュニア編で悟空が手足をやられてもうダメだと思ったら舞空術があったり、サイヤ人編でのナッパの絶望感があったり、ナメック星編ではギニュー特選隊のリクームに絶望したり…。
「こんなの、どうやって倒すんだ!?」
っていう絶望感と恐怖感、ワクワク感を楽しんでいました。大人になってからもう一度読み返してみると、飽きさせない展開がつぎつぎと登場し、ナメック星編のドラゴンボール争奪戦は現在でもドキドキしながら見られます。
セル編はトランクスの登場でフリーザが一気にやられてしまい拍子抜けしたものの、トランクスがベジータとブルマの子供ということがわかり驚きました。でもだいたいピークはそこまでで、最後のほうは流し見程度になってしまっていました。ブウ編になってからは特にそれが顕著になり、最終回のお知らせを見たとき、僕はもう高校卒業間近でした。
最終回というのはショックでしたが、「そうだろうなあ…」と思ったのが最初の感想です。ブウ編以降はつづくと思っていなかったので、おそらく最後のシリーズになるだろうなとは思っていたんですが、やはり当時ジャンプを見ていた者からすると、ドラゴンボールはフリーザ編で終わっていたら締めとしては最高の終わりを迎えられたと思います。
こうした雑誌の「延命策」とも取れる「蛇足的展開」はドラゴンボールだけではなく、それ以外の漫画でも見られます。
思うに、週刊漫画雑誌で連載するということ自体がもう限界なのかもしれません。
むしろ週刊連載というのをやめて、漫画は常にコミックスという形態で出せば、漫画家もペースを気にせず描くことができるのではないか
と考えるのは僕が素人だからでしょうか。
週刊連載(毎週18ページ)をやってコミックスを出して…というサイクルでやるよりも、何ヶ月かに1回、1冊だけコミックスを出すとか、コミックスを描くペースはある程度会社側で管理しつつも、あとは漫画家に任せるみたいなことをやれば、安易な引きのばしや休載は少なくなるのではないかと思ったのですが、みなさんはどう思われますか?
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▶ドラゴンボール改 東映アニメーション
▶ドラゴンボール超 東映アニメーション
まあ、それを言うなら「マジュニアあたりで止めとけば…」という人も出てくるのでしょうが、「もうちっとだけつづくんじゃ」と亀仙人に言わせたあたり、鳥山先生はサイヤ人編以降はむしろ「予定になかったこと」として描いていたのかもしれません。
サイヤ人編がスタートして、悟空のルーツが明らかとなり、惑星ベジータの生き残りだったサイヤ人たちと戦って、悪の元凶であるフリーザを倒し、悟空自身もナメック星の爆発に巻きこまれて死ぬ。つまり
宇宙最強同士が激突して両方がこの世から消える
この終わりかただったらすごくまとまったと思うんですよね。どうしても悟空だけを生き返らせたいなら、ベジータの言ったように「魂を地球に移動させてから生き返らせる」ところまでを描き、そこで終了としてもよかったと思います。
「これは、“たられば”で言うんだけど、フリーザ編でやめてたら3つめのヒット作が書けたんじゃないかな」
と語るのは鳥嶋氏ですが、たしかにその通りだと思います。フリーザ編でキレイに終わっていたら、鳥山明という漫画家はもうひとつのヒット作を生みだしていた可能性はあります。
ドラゴンボールにすべてを捧げ、燃えつきた。それがいいのか悪いのかはもう分かりませんが、コンテンツとして見るなら、ドラゴンボールは魔人ブウ編までやっていて正解だったのでしょう。しかしストーリーだけを見るなら、フリーザ編で終了していたほうがよかった。これはジャンプ漫画にありがちな「延命策」の犠牲とも言えます。
フリーザ編以降、ドラゴンボールは死者を生き返らせるだけの道具となってしまい、悟空の
「大丈夫だ、ドラゴンボールで生き返る」
というセリフも命というものの薄さに拍車をかけてしまったように感じます。僕は個人的にドラゴンボールという漫画は「空間」のおもしろさを味わう漫画だと思っていて、ストーリー自体はあまり注視していませんでした。なんというか、空間戦闘のコマ割りを楽しむ漫画というか、ドカバキやっていても一発で「何をやっているかわかるすごさ」があるんです。
こう書くと「ストーリーは魅力的じゃないのか」と言われそうですが、正直、子供のころはストーリーというかバトルの展開にドキドキしていました。マジュニア編で悟空が手足をやられてもうダメだと思ったら舞空術があったり、サイヤ人編でのナッパの絶望感があったり、ナメック星編ではギニュー特選隊のリクームに絶望したり…。
「こんなの、どうやって倒すんだ!?」
っていう絶望感と恐怖感、ワクワク感を楽しんでいました。大人になってからもう一度読み返してみると、飽きさせない展開がつぎつぎと登場し、ナメック星編のドラゴンボール争奪戦は現在でもドキドキしながら見られます。
セル編はトランクスの登場でフリーザが一気にやられてしまい拍子抜けしたものの、トランクスがベジータとブルマの子供ということがわかり驚きました。でもだいたいピークはそこまでで、最後のほうは流し見程度になってしまっていました。ブウ編になってからは特にそれが顕著になり、最終回のお知らせを見たとき、僕はもう高校卒業間近でした。
最終回というのはショックでしたが、「そうだろうなあ…」と思ったのが最初の感想です。ブウ編以降はつづくと思っていなかったので、おそらく最後のシリーズになるだろうなとは思っていたんですが、やはり当時ジャンプを見ていた者からすると、ドラゴンボールはフリーザ編で終わっていたら締めとしては最高の終わりを迎えられたと思います。
こうした雑誌の「延命策」とも取れる「蛇足的展開」はドラゴンボールだけではなく、それ以外の漫画でも見られます。
個人的に思う、ドラゴンボール以外の漫画の『延命策』と思うパート
- 幽遊白書『魔界編』(暗黒武術会で終わっていれば…)
- 銀牙『八犬士編』(赤カブト編で終わっていれば…)
- 北斗の拳『修羅の国編』(ラオウ編で終わっていれば…)
- キン肉マン『キン肉星王位争奪編』(夢の超人タッグ編で終わっていれば…)
- HUNTER×HUNTER『暗黒大陸編』(キメラアント編で終わっていれば…)
思うに、週刊漫画雑誌で連載するということ自体がもう限界なのかもしれません。
むしろ週刊連載というのをやめて、漫画は常にコミックスという形態で出せば、漫画家もペースを気にせず描くことができるのではないか
と考えるのは僕が素人だからでしょうか。
週刊連載(毎週18ページ)をやってコミックスを出して…というサイクルでやるよりも、何ヶ月かに1回、1冊だけコミックスを出すとか、コミックスを描くペースはある程度会社側で管理しつつも、あとは漫画家に任せるみたいなことをやれば、安易な引きのばしや休載は少なくなるのではないかと思ったのですが、みなさんはどう思われますか?
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