【ゲーム思い出話】親に買ってもらったゲームの思い出って覚えてますか?

みなさん、親に買ってもらったゲームって覚えていますか?
僕は小学校2年生のときに、初めてファミリーコンピュータを買ってもらいました。当時、ファミコンが出たばかりのころで、ソフトはすでに何本か出ていたと記憶しています。
いまでも覚えているのが
ファミコンを持っているクラスメイトがクラスにぼちぼち増えてきていたころ。僕もどうしてもファミコンを買ってほしくて親に泣いてねだった記憶があるんです。
いまでも思い出すと、申し訳ないほど親を困らせてしまったなあと恥ずかしくなります(笑)。
今回はそんな「親に買ってもらったゲームの思い出」を書いていきたいと思います。
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親に泣いて頼んだファミコン本体
「ファミコン買って買って買って!みんな持ってるんだもん!お願い!」
って母親に泣き叫んで駄々をこねた記憶…本当に申し訳ない…。あのときのことは、大人になったいまでも覚えてます。母が父から来た仕事終わりの電話をさえぎり、僕は上記のおねだりを繰り返したのです。本当に申し訳ない…。
「どうする?買ってあげる?」
母が父とこんな会話をしていたのは覚えています。
前置きが長くなりましたが、最初に親に買ってもらったゲームの思い出としては、「ファミコン本体」です。
子どもって「みんな持ってる」が口癖みたいなもんですよね(笑)。実際はクラスの数人がファミコンを持ってただけだったんですが、それを「みんな」って表現して自分も買ってもらおうとする過去の自分のあさましさ…。
話を戻します。
そしてついに我が家にやって来たファミコンですが、たしか初めて買ってもらったゲームは「ロードランナー」と「サッカー」だったと思います。
あの黄色いパッケージのロードランナーに緑・銀のパッケージのサッカー。特にロードランナーのパッケージは何度模写したことか。
それまで「テレビゲームの世界」を知らなかった自分にとって、ファミコンとの出会いはまさに人生初の衝撃でしたね。当時、小学生なら誰もが持っていた「ジャポニカのじゆうちょう」にパッケージの絵を延々と描いていました。
なぜかファミコン自体のプレイの思い出よりも、買ってもらったときの思い出のほうが強く記憶してるんですよねこれが。
クリスマスにもらった2本のファミカセ
次は忘れもしない、クリスマスの思い出です。
我が家では毎年サンタさんにファミコンソフトをお願いしていたんですが、あるとき、「忍者じゃじゃ丸くんとあと1本、なにか別のファミコンソフト」っていうのを頼んだんです。
その日の夜、弟と楽しみにしながらワクワクな気持ちを胸に秘めつつ、いつの間にか僕らは眠りにつきました…。
そして翌日、枕元のゴミ袋(靴下の代わり)を見ると、
なんと!
黒いゴミ袋がファミコンソフトの形に膨れている!
やった!と思い、急いで中身を確認すると、中から出てきたのはサンタさんにお願いしていたじゃじゃ丸くんのソフト。そしてもう1本はなんか黒いパッケージに竜みたいのが描かれていたソフトでした。なんだかわかります?
実は初代「ウィザードリィ」のソフトだったんです。
いやー、小学3年生に初代WIZはきついだろ親父…いや、サンタさん。このゲームはどうやら冒険をするゲームっぽいけど、何をするゲームかよくわからないまま、僕はWIZをプレイしていましたが、いかんせんどうにもならなかった。
なんにも説明のないまま仲間を組まなければならず、いつの間にか気づいたらダンジョン内にいて、いつの間にか敵が出てきていつの間にか全滅。
それがダンジョンRPGの祖である名作ゲームであると理解するまでに、僕は数年を要しました。まあそのおかげで中学2年生になる頃にはゲームボーイの「ウィザードリィ外伝」をクリアするまでになりましたので、今思い返せば、サンタさんに感謝ですかね(笑)。
朝4時に起きてプレイしてたら怒られた「スーパーマリオブラザーズ」
最大の思い出は「スーパーマリオブラザーズ」です。
当時、スーパーマリオブラザーズが大ヒットゲームだということを知っていた僕は親に頼み、「スーマリ」のソフトを買ってもらいました。
確か買ってもらったのは金曜日の夜。当時、「子どもは夜9時には寝なさい」と言われていた時代です。ですがあんな面白いソフトを買ってもらった夜なんて寝られるわけないじゃないですか。
親に「もういい加減にして寝なさい!明日もあるでしょ!」と言われて仕方なく寝ましたが、「スーマリ」の面白さが忘れられない僕は、翌日の朝4時に目を覚まします。
そして親が寝ているのをいいことにファミコンの電源をつけ、スーパーマリオブラザーズをプレイしました。
そりゃそうですよ。新作ゲームソフトを買ってろくにやらないまま次の日の朝を待つなんて、子どもにできるわけありません。朝4時に起きてファミコンをプレイしている僕。そして6時頃に起きてきた母。当然怒られました。
ですが、まあその日は土曜日だったこともあり、母は半ば呆れてカーテンを開けてくれ、朝ごはんを食べてからまたやりなさいと言われたことも覚えています。ごめんね母さん(笑)。
パチンコで取ってきてくれたゲームボーイのソフト
次は父がパチンコの景品で取ってきてくれたゲームの思い出です。中学生になっていた僕はゲームボーイに夢中でした。その日も自室でゲームボーイをプレイした僕のもとへ父がやってきました。
「パチンコで勝ったから、ゲームボーイのソフト取ってきたぞ!」
と、なんと数本のゲームボーイソフトを取ってきてくれたのです。「やったあ!」と喜ぶ僕でしたが、次の瞬間、なんだか微妙な感じになりました。
それもそのはず、これらのソフトが好きな人には申し訳ありませんが、結構マニアックだからわかりますかね…?
父が取ってきたソフトは「石道」、「ブロディア」、「てけてけ!アスミッくんワールド」だったんです。
「石道」はあれです。マークがついた石を使ったソリティア。「ブロディア」はチクタクバンバンみたいな、道をつなげてボールを通していくパズルゲーム。「アスミッくんワールド」は「平安京エイリアン」と同じく、穴を掘って敵を落として得点を稼ぐゲームでした。
この中で一番やったのは「アスミッくんワールド」でしたね。というかこれが一番アクション性があったから。あとの2本は大人向けの感じがして、しばらくやってはいたんですが、ハマりはしなかったですね。
というか、「石道」と「ブロディア」はシブすぎたんだよなあ…。
最大限にハマった「サガ2」
一番思い出はやはりこの「サガ2」です。
ゲームボーイで1990年に発売されたRPGの金字塔です。当時、僕は13~14歳でした。やっぱり中2時代ごろの記憶っていうのが大人になっても覚えてるもんですね(笑)。
12月14日に発売された「サガ2」をクリスマスに親に買ってもらった思い出が蘇ります。
当時はまだまだ年末の買い物に街中に出るという行為が普通だった時代のこと。親と一緒に街に連れて行かれた僕は、買い物の帰りにゲームショップに寄ってもらいます。そこで見つけたのが当時宣伝されていた「サガ2」でした。
この黒のゲームデザイン。いまでも鮮明に覚えてますよ。クリスマスに寄ってもらったゲームショップで買ってもらったこの「サガ2」。おばあちゃん家に泊まりに行くことが多かった僕は弟とゲームボーイを取り合いながら、このゲームをおばあちゃん家の4畳半の布団にくるまりながらプレイしていました。
蛍光灯が照らす4畳半の畳部屋に敷布団を2つ敷いて、弟と寝ながら「サガ2」を交代でプレイしていたあの時代。懐かしいです。当然、何周もしました。
あれから30年。いまではおばあちゃんも亡くなり、あの部屋は物置部屋になってしまいました。しかし、蛍光灯と布団の中で聞いた「ネバーギブアップ」、「セイブ・ザ・ワールド」等のサガ2の神BGMたちは、僕を一瞬で当時のあの光景に戻してくれるタイムマシンです。
ゲームってそのものの記憶はもちろんそうなんですが、「当時、何があったか」という「思い出補正」がすごく大事だと思うんですよね。
大人になったいまではゲーム自体の面白さを見るだけの生活になりましたが、子どものころってゲームだけの記憶じゃないんですよね。
あのとき、何をやっていたか、何を感じていたかという「子ども時代の記憶」がゲームに合わさるからこそ、大人になったいまでは感じることのできない、宝石のような記憶が蘇ってくるのだと思います。
親に買ってもらったゲームというのは、特別なものでした。いまは何本でもゲームが買える大人になりましたが、1本買ってもらったらしばらくはゲームを買ってもらえなかった昔は、その1本を大切にプレイしていくしかなかったんです。だから1本のゲームに対する記憶がより深く刻まれているんでしょうね。
決して安くはないゲームを大事なお給料の中から買ってくれた両親には感謝しかありません。
PS:スーパーマリオランドのエンディングは当時の記憶も相まって、いつ聞いても泣けてきます。
テッテッテッ テッテッテテテー
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